日記

こけし手帖682号

こけし手帖682号に
「こけし祭りの未来に今できること」という文章を寄稿しました。
このホームページの9月の日記に書いたものと同じ内容ですが、
手帖用に改稿したものです。
大切なことなので、
しつこいようですがこちらにも改めて。

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9月2、3日の第63回全国こけし祭りの中で行われた
座談会「こけし祭りの未来に今できること」に、
西荻イトチの伊藤ちえさんと一緒に
司会のような役割で出させていただきました。

ここ数年のこけし祭りは、
第3次こけしブームとその余波によってたくさんの若いお客さんを集め、
多くの賑わいを見せています。
しかしその内情は、後継者不足により人手が足りず、
いくつもの業務を少ない工人と役場の方々がこなすことで、
なんとか開催できているというもの。
小学校の体育館という大きな会場の設営もほぼ工人だけでやっていたりと、
どう見てもひとりひとりへの負荷がかかり過ぎています。
その問題をどうにか解決しなくては、
10年後、5年後ですら、
こけし祭りはできなくなっているかもしれない。
深沢要さんの
みちのくは 遥かなれども 夢にまで こころの山路 こころのこけし」
刻まれた歌碑が建てられた記念として昭和23年からはじまり、
今までずっと繋げてきた想いを途切れさせてはいけない。
そんな危機感から鳴子の工人の方々に、
今、こけし祭りをどんな風に思っているのか、
これから先、どうしていくべきか聞いてみたいと思い、
こけし祭りの未来に今できること」というテーマで、
座談会という場所を借り、
いろいろとお話をお聞きしました。

参加してくださった工人は
大沼秀顯さん、柿澤是伸さん、早坂利成さん、松田大弘さん。
年齢も作るこけしのタイプも違う4工人ですが、
みなさん実直に、それぞれの想いを話してくださったことで、
たくさんの問題が浮き彫りになり、
その問題の根の深さを知ることになりました。

議題として上がった問題は
「後継者がいない」「予算がない」「工人と町の人との間に温度差がある」。
どれもすぐに解決できる簡単なものではなく、
どこの地方でも言われていることです。
僕個人がどうにかできることではありません。
ただ、これは工人や町だけの問題ではなく、
愛好家も一緒になって考えていかなくてはいけないもののように思えます。
祭りがなくなることがつらいのは工人だけでなく、
愛好家も同じなのですから。

鳴子温泉がある大崎市は後継者がいない現状をどう見ているのか。
僕が知る限り、20代の工人は松田大弘さんただ1人(修行中を入れたら2人)。
宮城県内の他のこけしの産地では、
市が募集をかけ、工人の育成を行っており、
そのうちの何人かは、一人前の工人として立派に活躍しています。
だからできないことではありません。
そして育成を含め、大崎市が鳴子のことを、こけしのことを、
もっときちんと扱ってくれるなら、
予算の問題も解消される部分は多く、
その影響は祭りにも出てくるのではないでしょうか。

町の人との間の温度差はどうでしょう。
町の人はこけしにあまり興味があるようには見えません。
それは鳴子に限ったことではありませんが。)
こけしが、この祭りが、鳴子という町にとって、
とても大切なものであることを、
もっともっと町の人にも気づいてほしいし、知ってほしい。
鳴子にはこけしがあるということを誇りに思ってほしい。
お土産屋さんも、東北以外で作られる近代こけしを置くのではなく、
鳴子のこけしをもっと置いてほしいし、
旅館やホテルでも良いこけしを買えるようにしてほしい。
ブームが落ち着いてきた今だかこそ、
町全体で一丸となってこけしを支えてほしい。
そうなってくれば、
祭りは続けていくことができるはずです。

座談会に出てくださったみなさんが口を揃えて言っていました。
「鳴子のこけし祭りは、特別なんだよなあ。
こけしを買うだけじゃない特別なものがある。」

残さなくてはいけません。

松田大弘さんのこけし

今年はじめにこけし工人としてデビューした鳴子温泉の松田大弘さん。
師匠は松田忠雄さん、大弘さんのお父様です。
最初に大弘さんのこけしを見たのは
ご自身のホームページだったと思いますが、
繊細すぎるくらいに繊細で、
独特な解釈で作られた丁寧な鈴木庸吉型でした。
伝統こけしの本質を感覚的にわかっている人が作るこけしであることに驚き、
松田さんの息子さん、こんなに良いものつくるのか、、、と
嬉しくワクワクした気持ちになりました。
9月のこけし祭り時に鳴子でお会いした際、
その庸吉型を作って欲しいとお願いし、
届いたのが写真のもの。
鈴木庸吉型(左)と高野幸八型(右)です。

高野幸八型についてはまたいつか触れるとして、
鈴木庸吉型について。
鈴木庸吉のこけしは、
素朴という言葉では片付けられない、濃密で激しい情味があるこけしです。
筆の運びは早く、動的なこけしとも言えるでしょう。
静的で端正な佇まいのこけしを作ることが多い松田家では、
このようなこけしは写すのはとても難しい。
普段との振り幅があまりにも大きい。
ただ鈴木庸吉のこけしをじっくり見ていくと、
激しい情味の中に、繊細さがかすかに滲んで見えてきます。
それこそが庸吉こけしの重要な魅力であり、
繊細さがこのこけしを支えているように感じます。
大弘さんは庸吉の写しをするにあたって、
この繊細さを抽出したのではないでしょうか。
これまで何人かの工人が庸吉型の写しを作ってきましたが、
このような解釈のものはなく、
大弘さんの独自性に唸らざるを得ません。
原と比べると印象はだいぶ異なり、
まだまだ硬く、発展の余地はありますが、
その余地さえも魅力のひとつに思えてくる不思議なこけしです。

そして師匠であり父の忠雄さんのこけしも
ここ数年の中で今、とんでもなく良くなっていることを忘れてはいけません。
そこには間違いなく大弘さんの影響と刺激があります。
伝統と血の繋がりと刺激。
素晴らしいことです。

大弘さんは鳴子のこけし工人としては最も若く、まだ20代。
とにかく未来があります。
これからが楽しみでなりません。
あと数年でデビューするであろうひとつ年上の桜井尚道さんと共に、
鳴子のこけしを、こけし界を引っ張っていただきたい。
強くそう思います。

鈴木庸吉のこけしについて

「お」展の「おんぶ」

9月15日から20日に
オーパギャラリーにて開催された「お」展が
無事終わりました。
「お」をテーマにしていればなんでも描いて良しのグループ展なんて
今まであったでしょうか。
予想通り、それぞれが自由に描いている、とても楽しい展覧会でした。
お越しいただいたみなさま、出展者のみなさま、
そしてお誘いいただいたタラジロウさん、
どうもありがとうございました。

自分は「おんぶ」をテーマに描きました。
以下展示に寄せたコメントです。

僕には3歳の双子の子どもがいるので、よくおんぶをします。
代わり番こにおんぶをした時の子どもたちは、
きゃっきゃと声をあげ、背中で楽しそうにしています。
他の生き物の子どもも、おんぶが好きに違いありません。

こけし祭りの未来に今できること

鳴子温泉にて9月2、3日に開催された
第63回全国こけし祭りが終わりました。
ここ3年は小さな双子を連れての参加でしたので、
会場をくまなく見たりする余裕はありませんでしたが、
もう3歳になったこともあって、
こけしへの絵付けも楽しめるようになりましたし、
このこけしがかわいい!とか、こわい!などという反応もあり、
久しぶりに祭りを楽しめたような気がしています。
昨年会えたゆるキャラのなる子ちゃんとも再び会えて嬉しそうでした。
今回のコンクールで最高賞を獲られた早坂利成さんの足踏み轆轤によるこけしも、
これからのこけし界を左右するようなこけしだったように思います。
あのこけしを起点にこけしの本質へと潜る工人が多く出てくることを
期待しています。

2日に行われた座談会では
西荻イトチの伊藤さんと一緒に司会のような役割で出させていただきましたが、
前日まで風邪をこじらせ寝込んでいたので、
いつも以上の鼻声でお聞き苦しいものだったのではないでしょうか。
聞いてくださった皆様、申し訳ありませんでした。
そしてありがとうございました。

座談会のテーマは「こけし祭りの未来に今できること」。
ここ数年のこけし祭りは、
第3次こけしブームとその余波によって
たくさんの若いお客さんを集め、
多くの賑わいを見せています。
しかし、その内情は
後継者不足により人手が足りず、
いくつもの業務を少ない工人と役場の方々がこなすことで、
なんとか開催できているという状況です。
小学校の体育館という大きな会場の設営も
ほぼ工人だけでやっているのです。
どう見てもひとりひとりへの負荷がかかり過ぎています。
その問題をどうにか解決しなくては、
10年後、5年後ですら、こけし祭りはできなくなっているかもしれない。
そんな危機感から鳴子の工人の方々に
いま、こけし祭りをどんな風に思っているのか、
これから先、どうしていくべきか聞いてみたいと思い、
「こけし祭りの未来に今できること」という
テーマでいろいろとお話をお聞きしました。

座談会に参加してくださった工人は
大沼秀顯さん、柿澤是伸さん、早坂利成さん、松田大弘さん。
みなさん実直に、それぞれの想いを話してくださったことで、
たくさんの問題が浮き彫りになり、
その問題の根の深さを知ることになりました。
どこまでここに書くべきか悩むところですが、
議題として上がったのは

・後継者がいない
・予算がない
・工人と町の人との間に温度差がある

このようなことです。
どれもすぐに解決できる簡単な問題ではありませんし、
僕がどうにかできることではありません。
僕が知らないこともたくさんあるのでしょう。
鳴子温泉がある大崎市は
後継者がいない現状をどう見ているのか。
僕が知る限り、
20代の工人は松田大弘さんただ1人(修行中を入れたら2人)。
宮城県内の他のこけしの産地では、
市が募集をかけ、工人の育成を行っていて、
そのうちの何人かは、工人として立派に活躍しています。
だからできないことではありません。
大崎市が鳴子のことを、こけしのことをもっときちんと扱ってくれるなら、
予算の問題も多少は良くなってくるかもしれません。
そして町の人との温度差。
こけしが、この祭りが、鳴子という町にとって
とても大切なものであることを、
もっともっと町の人にも気づいてほしいし、知ってほしい。
鳴子にはこけしがあるということを誇りに思ってほしい。
お土産屋さんも、東北以外で作られる近代こけしを置くのではなく、
鳴子のこけしをもっと置いてほしいし、
ホテルや旅館でもきちんとしたこけしが買えるようにしてほしい。
町全体で一丸となってこけしを支えてほしい。
そうすればこけしは、この祭りは続いていくはずです。
続いてくれなければ困るのです。

お話くださったみなさんが口を揃えて言っていました。
「鳴子のこけし祭りは、特別なんだよなあ。」
僕もそう思います。

写真はうちの双子(3歳)が絵付けしたこけし。
木地は高橋輝行工人。

太田孝淳工人のこと

太田孝淳工人は言いました

何かの型を作るよりも、
古いこけしから出ている空気みたいなもの、
そんなものを感じるこけしを作りたいんです。
見ているとどれも本当に良いなあと思うものですから、、、。
ほのぼのしていて、のびのびしていて本当に良いですねえ。

土湯温泉で作られた古いこけしを二人で眺めながら、
その底知れぬ魅力について長い時間お話してきました。
5月のことです。
ここで言う古いこけしとは、
こけしが「伝統」になる前の、
のびのび、ほのぼのとしたこけしのことです。
まだ子どもの手の中にあり、
ただの玩具として存在していた頃のこけし。

こけしは「伝統」という名前がつくことで、
それまで築き上げてきたものを守ることができ、
「伝統こけし」として、今へと繋がれてきました。
しかしその一方で「伝統」という冠にあぐらをかいて、
その奥にある本質を見落としてきたとも言えるのではないでしょうか。
そしてその冠によって
どこか窮屈な枠に押し込められてしまったのも事実です。
ならば、そんな枠から飛び出て、
工人それぞれが思うこけしの本質を挽き出すことができたら、
のびのび、ほのぼのとした
本来のこけしの姿に立ち返ることができるのではないか。

ただそれは「伝統」を無視していいということではありません。
伝統を守って自分の中に取り込み、
それを破壊し俯瞰でみて、
そこから離れていくこということが必要なのではないか、
ということです。
守破離の精神です。
常に身体の中に「伝統」を感じながらいることが大切なんだろうと思うのです。
やみくもに破壊したり、離れたりするのなら
はじめから伝統こけしをやる必要はありません。
どれだけ強く「守」でいられるかで、
「破壊」し「離れる」時の力は強くなり、
こけしの本質へ近づいていくのではないでしょうか。
太田さんはその姿勢でこけしを挽いているように思えます。

この太田さんのこけしには
僕が土湯こけしに対して求めている魅力が全てつまっています。
木地は品良く粗く仕上げられ、
そこに染まった色は瑞々しく滲んでいます。
白く抜かれた眼点は、
太田さんの土湯こけしへの敬意の表れです。
ほのぼの、のびのびとした、
玩具らしい情感に満ちたこけしです。
素晴らしい。