日記

0311

2011年3月11日14時46分以前の自分にとって、
「0311」という数字は、
「0」と「3」と「1」と「1」の組み合わせでしかありませんでした。
それがこんなにも大きく悲しい数字になってしまった。

忘れることは決してありません。
心と身体に刻まれています。

わずかでも前に進んでいけますように。

 

 

 

『こけし図譜』

本日2020年1月9日。
『こけし図譜
イラストレーションでわかる伝統こけしの文化・風土・意匠・工人』が
誠文堂新光社より刊行されます。
本書は東北6県で作られる伝統こけしの歴史や魅力を、
絵と文章で紹介したものです。

2018年12月から2019年6月にかけて
産地にいる工人を訪ね、
生い立ちや伝統こけしを作るようになった経緯、
それぞれのこけし鑑など
今まであまり語られてこなかったことをお聞きしてきました。
本の中心になっているのは
そんなの工人の話です。

伝統こけしという文化は
どのようにして生まれ、どのように繋げられてきたのか。
なんてことも考察をふまえながら書いていたりもします。

『こけし図譜』を見て、読んで、
一人でも多くの方が伝統こけしに興味を持っていただき、
工人たちの言葉が皆様を産地へ誘うきっかけになればと
強く願っています。

『こけし図譜』

終戦の日

8月15日、終戦の日。

自著『てのひらのえんぎもの 日本の郷土玩具』で
浜松張子について書いた文章を少し掲載いたします。
浜松張子には第二次世界大戦の空襲により、
すべてを焼失した過去があります。

戦争が世界からなくなるよう、心から願っています。


浜松張子は、
明治初年に江戸から移住した旧幕臣の三輪が
江戸の張子に影響を受けて作りはじめたといわれています。
永保は息子の永智に跡を継がせるため、玩具雑貨商「かすみや」で修行させます。
永智は店主の織田利三郎に習いながら、
亀戸の張子(埼玉県越谷市船渡地区で作られていた船渡張子の別称)も参考にして
様々な張子を創案しました。

永智の代でさらに発展した浜松張子も、
第二次世界大戦の空襲で工房が全焼、木型もすべて焼失し伝統が断たれてしまいます。
浜松は飛行場や軍需工場が多く、
東京・名古屋を空爆するB-29の往復ルートに位置することから
「残った爆弾は浜松に落とせ」と多くの爆弾が落とされたといわれています。

戦後の復興期、すべてを焼かれて気落ちしている永智に代わり、
永保の六女で永智の妹である二橋志乃が昭和二十三年(一九四八)に木型を再興し、
張子作りを復活させます。

子どもに与えるおもちゃがないという町の声を聞いて、
志乃も「慰めのない子どもたちに何か作ってやりたい」という思いを
抱いていたのでした。
復興の象徴として張子を作るという意味合いもあったのかもしれません。


 

8年

震災から8年。
時間が進んだ人もいれば、止まったままの人もいます。
少しずつでも前に進めますように。

郷土玩具には人を癒す力があると思います。
画像は『てのひらのえんぎもの 日本の郷土玩具』で描かれた
東北の郷土玩具たち。
左上から時計回りで
鳴子こけし(宮城県)
花巻人形(岩手県)
三春張子(福島県)
仙台張子(宮城県)
下川原焼人形(青森県)

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願い申し上げます。
まずは11日からの『てのひらのえんぎもの 日本の郷土玩具』原画展、
ぜひおこしくださいませ。

佐々木一澄