日記

太田孝淳工人のこと

太田孝淳工人は言いました

何かの型を作るよりも、
古いこけしから出ている空気みたいなもの、
そんなものを感じるこけしを作りたいんです。
見ているとどれも本当に良いなあと思うものですから、、、。
ほのぼのしていて、のびのびしていて本当に良いですねえ。

土湯温泉で作られた古いこけしを二人で眺めながら、
その底知れぬ魅力について長い時間お話してきました。
5月のことです。
ここで言う古いこけしとは、
こけしが「伝統」になる前の、
のびのび、ほのぼのとしたこけしのことです。
まだ子どもの手の中にあり、
ただの玩具として存在していた頃のこけし。

こけしは「伝統」という名前がつくことで、
それまで築き上げてきたものを守ることができ、
「伝統こけし」として、今へと繋がれてきました。
しかしその一方で「伝統」という冠にあぐらをかいて、
その奥にある本質を見落としてきたとも言えるのではないでしょうか。
そしてその冠によって
どこか窮屈な枠に押し込められてしまったのも事実です。
ならば、そんな枠から飛び出て、
工人それぞれが思うこけしの本質を挽き出すことができたら、
のびのび、ほのぼのとした
本来のこけしの姿に立ち返ることができるのではないか。

ただそれは「伝統」を無視していいということではありません。
伝統を守って自分の中に取り込み、
それを破壊し俯瞰でみて、
そこから離れていくこということが必要なのではないか、
ということです。
守破離の精神です。
常に身体の中に「伝統」を感じながらいることが大切なんだろうと思うのです。
やみくもに破壊したり、離れたりするのなら
はじめから伝統こけしをやる必要はありません。
どれだけ強く「守」でいられるかで、
「破壊」し「離れる」時の力は強くなり、
こけしの本質へ近づいていくのではないでしょうか。
太田さんはその姿勢でこけしを挽いているように思えます。

この太田さんのこけしには
僕が土湯こけしに対して求めている魅力が全てつまっています。
木地は品良く粗く仕上げられ、
そこに染まった色は瑞々しく滲んでいます。
白く抜かれた眼点は、
太田さんの土湯こけしへの敬意の表れです。
ほのぼの、のびのびとした、
玩具らしい情感に満ちたこけしです。
素晴らしい。

 

 

佐藤晃一先生の言葉

佐藤晃一先生が
亡くなられて今日で1年。
もう1年か、、、。

ある時事務所に遊びに行かせていただいた時、
先生は電気的なものが好きでしたので、
おみやげに簡易式のテルミンを差し上げました。
すると

「使い方がわかりませんねえ。テルミンの使い方をテルミー(tell me)」

散々言われてきた厳しい言葉と共に、
そんなくだらないダジャレでさえも、
今でも自分の中に残っています。
よく言っていたなあ、好きだったなあと。
会いたいなあ。

絵は油揚げと厚揚げ。
先生の初個展へのオマージュです。

トークイベント「郷土玩具の起源とその魅力」のこと

こけし堂での「郷玩あれこれ 原画展」のトークイベントでは
「郷土玩具の起源とその魅力について」というテーマでお話しをしました。
3年前の川口のメディアセブンでの講演とほぼ同じ内容で、
それにこの3年の間に調べたことや考えたことも加え、煮詰めたもので、
ざっくりと、以下のような話です。

郷土玩具は基本的に「土」「木」「紙」でできていて、
土は土偶、木は木偶、紙は形代がそれらの祖先ではないでしょうか。
郷土玩具はおろか、玩具とも言えないものですが、
起源はわかっているだけでも
土偶は縄文時代、木偶は弥生時代、形代は奈良時代まで遡り、
どれにも「信仰」や「祈り」という想いが
母体となっています。
その想いは、
日々を、これからを、少しでも良くしたいという柔らかく強いもので、
土偶が誕生した縄文時代よりも古くから存在していたのでしょう。
それらは、そんな想いを抱えたまま時代を経て、
江戸時代に発展、成熟し、玩具へと変化していきました。
そして明治時代、世の中に郷土という意識が芽生えたことで、
郷土玩具は誕生し、今に至ります。
そして郷土玩具の母体となった想いは
郷土玩具の魅力を作る本質的なもので、
そこには人々の想いの普遍性をみることができます。
そんな本質が見えてくる郷土玩具に魅力を感じます。

そんな話です。
川口での講演からの3年の間に、郷土玩具界は変化し、
廃絶した産地もあれば、復活した産地もあります。
新しく郷土玩具を取り扱うお店が増えた一方で、
ファッションの一部として消費され、飽きられ、
ここ最近作られたものがヤフオクに出品されたりもしています。
作り手の想いや、
それを繋げてきた人たちの想い、
郷土玩具の母体となっている想いまでもが
置き去りにされているのを感じ、
悲しい気持ちになることも多々あります。
そんなこと言っていると、
「精神論だ!」と言われてしまったりして、
なんとも言えない気持ちになりますが、
精神が、想いが、そこになくて、
なんの意味があるのでしょうか?
それは別物なのでは?
以前からそのように思っていましたが、
川口からの3年間で
その想いは、より強いものになったように思います。
今回のトークイベントは
それを自分自身で知る大きな意味のある時間でした。
想いや本質のような曖昧なものを、
うまく言葉にできな自分に辟易としますが、
よりしっかりとした想いで伝えていかなければいけないなと感じています。

「郷玩あれこれ」は全国の地方新聞にて掲載されたものですが、
第二弾の連載を近いうちにできそうです。
その時またお知らせいたします。

郷土玩具をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

こけし堂での「郷玩あれこれ 原画展」

鳴子温泉こけし堂での「郷玩あれこれ 原画展」が
7日に無事終了しました。
ご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました。

鳴子温泉は僕にとって
毎年夏に訪れる言わば故郷のような場所であり、
伝統こけし、郷土玩具にのめり込むきっかけをくれた場所。
そして会場となったこけし堂は
敬愛する桜井昭二さんが作られた場所です。
そんな場所で展示をさせていただき、
郷土玩具についてお話しをする機会も与えてくださった、
桜井昭寛さん、尚道さん、
喫茶店たまごやの宮本さん、
鳴子温泉の皆様に感謝です。
本当にありがとうございました。
また何かやれたらいいなあと思っています。

20170311

東日本大震災から6年が経ちました。
もう6年、まだ6年。
時間の感じ方は人それぞれ違うでしょう。
一定の節目を越えたと言っている人がいますが、
なんの節目なのでしょうか。

ひとりでも多くの方が
少しでも早く平穏に過ごせますように。
心よりそう願っています。

画像のポストカードは
子ども村 東北のために描いたもの。
以下からご購入できます。
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