洟を垂らしたこけし

洟を垂らしたこけし

先日、行われた高円寺フェス MY FIRST KOKESHI!トークイベントにて
恐れ多くも司会を担当させていただきました。
ゲストは津軽大鰐系のこけし工人長谷川健三さん、津軽こけし館の山田拓郎さん。
イベント前日、健三さん山田さんと御飯を食べながら、いろいろな話をし、
当日もいろいろと貴重な話を聞かせていただきました。
僕のぎこちなくつたない進行にうまく乗って下さった、
健三さん、山田さん、感謝しています。
2日間どっぷりとお話させていただいた中で
僕自身が健三さんのこけしについて、
いろいろと想うところがあり、
トークイベントから一週間経ってようやく
結論めいたものに辿り着いたような気がします。

健三さんのお父様である辰雄さん描彩の昭和初期のこけし、
中でも島津彦三郎木地のこけしは、
泥臭く、洟を垂らした津軽、大鰐の子供そのものという顔をしています。
(正確には洟を垂らしそうな顔ですが。)
なぜこんな泥臭い顔なのか。

津軽では昭和元年にこけしが作られ始めたと言われていることから想像するに、
その当時こけし作りの見本のようなものは、ほとんどなかったはずです。
見本がない中で、何を基準に顔を描いていたのか。
それが自分の身近にいる洟を垂らした子供なのです。
この泥臭さの要因はそこにあるような気がしてなりません。
健三さんはその昭和初期の「洟を垂らした子供の顔」が、
自分のこけしの理想の顔だとおっしゃっていました。
しかし現代の子供は、あまり洟を垂らしていません。
なので健三さんにとっての理想の顔を描くのは難しい。
モデルがいないのです。
それでも健三さんのこけしの顔は紛れもなく洟を垂らしています。

健三さんのこけしの顔は辰雄さんのこけしの顔とは違います。
健三さんのこけしの顔は健三さんのこけしの顔です。
それでも昭和初期の洟を垂らした子供の顔になっているのは、
辰雄さんのたくさんのこけしから、
昭和初期の子供の顔を想像し、
健三さんの中で咀嚼して、
顔を描いているからではないでしょうか。
これは健三さんが環境も時代も越えて、
こけし作りをしていることに他ならないのです。
現代に作られた健三さんのこけしは、
昭和初期の空気までも内包しているように感じます。

そこでふっと気が付きました。
この洟を垂らしたこけしの顔は、
健三さん自身が幼い頃の顔もしれません。
そして息子の優志さんの面影も見えます。
やっぱり環境も時代も越えているのです。

左から島津彦三郎型、三上文蔵型、長谷川辰雄型。