こけしフォーラムについて その2「昭寛さんとの出会い」

こけしフォーラムについて その2「昭寛さんとの出会い」

そして昭寛さんとの出会い。
昭二さんが亡くなられる前に、
昭二さんの初期庄司永吉型のようなものを
また作っていただけないかとお願いしていたのですが、
それも叶いませんでした。
その自分の気持ちを慰める為にも、
作っていただく予定だった永吉型の絵を描き、
桜井家にもらっていただきました。

その年の全国こけし祭りに際には、
昭二さんにお線香をあげにいき、
初めて昭寛さんときちんと話をしました。
昭二さんの仏壇の上には、もらっていただいた僕の絵が飾ってあり、
なんとも不思議な気持ちになりました。
そんな中、
昭寛さんから昭二さんについていろいろな話を聞かせていただき、
その暖かいエピソードの数々に、
寂しさも募りながらも優しい気持ちになりました。

帰り際昭寛さんが
「これ、親父のやつ、俺が代わりに作っておいたから。
初めて作ったんだ、親父の永吉型。
今までは親父と一緒になって永吉型や岩蔵型を作ってる感覚があったから
考えもしなかったけど、一澄くんから親父の永吉型のこけし絵をいただいて、
親父の永吉型も作ってみようと思ったんだ。」と、
今まで作ったことがない昭二さんの初期庄司永吉型を机に並べてくれました、
昭二さんの遺作の庄司永吉型と共に。
それまでの昭寛さんのこけしと違い、
どこか張りつめた緊張感のようなものが漂っています。
それと同時に暖かさも含まれています。
昭二さんが亡くなられたことで何かが覚醒したのか、
それまでとは次元が違うようにすら感じ、
今でもこのこけしを見ると、
唸ってしまう自分がいます。
それは昭二さんの遺作の永吉型にも感じることで、
技術で作ったのではなく、
気持ちだけで作っているように見えます。
今まで見てきた昭二さんの永吉型の中でも、
こんなに優しい表情をしているものはありません。
自分の死を感じ、こんな境地に辿り着いたのでしょう。
やはりとてつもなく偉大な工人です。

昭寛さんとは、
それからも鳴子に行くたびにたくさんのことを話し、
たくさんのこけしを作っていただきました。
そのどれもが伝統こけしの本質をとらえ、
「伝統」になる前のこけしの空気を感じさせます。
それと同時に紛れもなく現代の伝統こけしとして完成しているのです。
躍動感に溢れながらも破綻しないでいられるのは、
こけしとはなんなのかを身体で理解しているからでしょう。

そんな昭寛さんと、昭二さんと出会ったこけし祭り会場でのフォーラム。
その事実だけで胸がいっぱいになります。
是非、聞きにいらしてください。
お待ちしています。

写真は左が昭寛さん作、昭二さんの初期庄司永吉型。
右は昭二さんの遺作に近い庄司永吉型。

こけしフォーラム