トークイベント「郷土玩具の起源とその魅力」のこと

トークイベント「郷土玩具の起源とその魅力」のこと

こけし堂での「郷玩あれこれ 原画展」のトークイベントでは
「郷土玩具の起源とその魅力について」というテーマでお話しをしました。
3年前の川口のメディアセブンでの講演とほぼ同じ内容で、
それにこの3年の間に調べたことや考えたことも加え、煮詰めたもので、
ざっくりと、以下のような話です。

郷土玩具は基本的に「土」「木」「紙」でできていて、
土は土偶、木は木偶、紙は形代がそれらの祖先ではないでしょうか。
郷土玩具はおろか、玩具とも言えないものですが、
起源はわかっているだけでも
土偶は縄文時代、木偶は弥生時代、形代は奈良時代まで遡り、
どれにも「信仰」や「祈り」という想いが
母体となっています。
その想いは、
日々を、これからを、少しでも良くしたいという柔らかく強いもので、
土偶が誕生した縄文時代よりも古くから存在していたのでしょう。
それらは、そんな想いを抱えたまま時代を経て、
江戸時代に発展、成熟し、玩具へと変化していきました。
そして明治時代、世の中に郷土という意識が芽生えたことで、
郷土玩具は誕生し、今に至ります。
そして郷土玩具の母体となった想いは
郷土玩具の魅力を作る本質的なもので、
そこには人々の想いの普遍性をみることができます。
そんな本質が見えてくる郷土玩具に魅力を感じます。

そんな話です。
川口での講演からの3年の間に、郷土玩具界は変化し、
廃絶した産地もあれば、復活した産地もあります。
新しく郷土玩具を取り扱うお店が増えた一方で、
ファッションの一部として消費され、飽きられ、
ここ最近作られたものがヤフオクに出品されたりもしています。
作り手の想いや、
それを繋げてきた人たちの想い、
郷土玩具の母体となっている想いまでもが
置き去りにされているのを感じ、
悲しい気持ちになることも多々あります。
そんなこと言っていると、
「精神論だ!」と言われてしまったりして、
なんとも言えない気持ちになりますが、
精神が、想いが、そこになくて、
なんの意味があるのでしょうか?
それは別物なのでは?
以前からそのように思っていましたが、
川口からの3年間で
その想いは、より強いものになったように思います。
今回のトークイベントは
それを自分自身で知る大きな意味のある時間でした。
想いや本質のような曖昧なものを、
うまく言葉にできな自分に辟易としますが、
よりしっかりとした想いで伝えていかなければいけないなと感じています。

「郷玩あれこれ」は全国の地方新聞にて掲載されたものですが、
第二弾の連載を近いうちにできそうです。
その時またお知らせいたします。

郷土玩具をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。